
学ぶならプロフェッショナルな大学で |
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私がアメリカ留学を決意したのは高校3年の春。洋画好きの父の影響で幼い頃から一緒に洋画を見て育った私にとって、映画の舞台となったアメリカへの憧れや興味はそのまま留学の動機となったのでした。そしてこの学校を選んだ理由は、日本ではまだあまり知られていない観光学やホテル経営学を学んでみたいという思いからです。JASAのアドバイスやサポートを通じてここがホテル経営学では全米でもトップランクにある有名校だと知り、学ぶなら本当にプロフェッショナルな場所で真剣に学びたいと考えた末の結論でした。 |
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ルームメートのSharonと友人と一緒に。 |
テレビや映画などでアメリカの生活について少しは理解していたつもりの私でしたが、留学生活の始めの頃は、思っていたことと現実とのギャップの大きさに悩む日々の連続でした。初めて経験するアメリカ。新しい場所で誰も自分を知らない孤独感。頼る人のいない場所でたった一人でいる自分、そして英語が話せることが当たり前のようなアメリカ人の容赦のない問いかけ。――そんな現実からひどいホームシックに陥った私を救ってくれたのは、他でもない寮生活のルームメイトでした。この大学では1年生は寮生活が義務づけられていたため、私もルームメイトと部屋をシェアしていたのですが、彼女は部屋に閉じこもりがちの私を盛んに外に連れ出したのでした。
どこに出かけるときでも必ず私を誘い、私が拒んでも半ば強制的に連れ出したり・・・そうするうちにやがて彼女の友達とも知り合い、自然に友達が増えて、いつの間にか気がつくと、あれほどひどかった私のホームシックはあとかたも無く消えていたのでした!――私は本当に今でも彼女達に感謝しています。言葉にハンディがありアメリカのことがまったく分からなかった私を、ルームメイトとその友達はいつも助けてくれた。その体験が私のその後の留学生活を一変させたのでした。
一番楽しかった思い出は、そんな素晴らしいルームメイトや寮の同じ階の仲間達と出かけた1年生最後のお別れディナー。みんな本当に中が良くそれぞれアパート生活へ、そのまま寮生活へとバラバラに暮らす門出の夜、別れを惜しんで心通わせた時間は、いつまでも胸の中に残っています。もちろん、それ以外にもこうした寮生活でのふれあいや、文化や考え方の違いからくる今では笑えるような小さな喧嘩も、みんな留学1年目の楽しい思い出となっています。 |

いつもここでコーヒーを飲みながら、
宿題第2弾の開始! |
留学してみなければ分からないこと、それは多くの人が言っているように、やはり親のありがたさ、それと日本の良さと共に、他国の文化への理解という点です。一人暮らしで初めて今までいかに親に頼りっぱなしだったか痛感する毎日ですし、また、いろいろな国の人々との交流を通じて真に他の国を理解することができるのは、とくにここ異文化が交じり合うアメリカならではの発見と言えるでしょう。それと、留学して得た最大の収穫は、何といっても親元を離れ、言葉と異文化の壁を乗り越えて一人で(友達に助けられながら)暮らし、学ぶことができたのだという自信。この収穫はこれからの私の人生の大きな支えとなるはずです。 |
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